出勤の日はほぼ5時起き(๑•̀ㅁ•́ฅ✨んまぁー最近はですね呆れるくらいの寒さで起き上がりたくない!!お布団と私の仲を裂く運命が呪わしくなるなる( -᷄ ω -᷅ )ふぅ➰💨夢は冬眠することです(`・ω・´)キリッでも、寝たきりではなくちゃんと美味しいものは食べたい!ということで正確には「vivaひきこ森」ですね無職だった時期あるんですけど転職だー٩(´・ω・`)وで勢いで辞めてしまってからァの職探し。実家住み勢なので肩身が狭かったんです。のびのびと「vivaひきこ森」満喫してみたいです。そんな〝夢を持つ〟私のおばあちゃんは子供の頃は方言が、全くわからずおばあちゃんの話の半分くらい理解出来ず(*'へ'*) ンーとなってたのでおばあちゃんからしたら意思表示のない子。(おそらく)今みたいに食いしん坊万歳🙌🏼ではなかったから食も細く、ほとんど食べない。お茶わん1杯食べたら奇跡॑⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝⋆*そんなだから、朝ご飯なんてねぇ何を食べていたのか本人の記憶にもない。「なんだったら食べるか?」の問が、超難問だった。子供の喜ぴそうな①卵焼き…チ───(´-ω-`)───ン次!②目玉焼き…チ───(´-ω-`)───ン次!③卵かけご飯…チ───(´-ω-`)───ン次!④岩海苔…チ───(´-ω-`)───ン次!⑤ふりかけ…チ───(´-ω-`)───ンハイ終了!!あの頃の無礼、今ならわかる…おばあちゃん!ごめんなさい🙇💦おばあちゃんは料理が上手優しい気が着くそしてなにより愛情が深いだから理念転生で素晴らしい人生が既に始まってると思う。私のおばあちゃんだった時最後に会ったのは病院だった。「んじゃまたね」と言って病室を出た。次が無いことなんて全くの想定外。お別れはあまりに突然過ぎてその言葉を聞いても一瞬理解ができなかった。知らせを聞いたのが16時頃。まだ仕事中で慌てて早退して向かった。首都高が工事中ですっぽり渋滞にハマり...おばあちゃん家のある街へ着いたのは夜中。おばあちゃんはもう病院からお家へ帰ってた。眠ってるみたいな顔だけどでも青白くて、たぶん冷たかったのだと思う。私は亡くなった人に触れるのが嫌い。触れたら冷たいことを確認できてしまうからだ。だから、おばあちゃんにも触れなかった。しばらくの間、おばあちゃんのそばに居た。その時、おばあちゃんの目から涙が溢れたのを見た。まだ、おばあちゃんの魂は、ここに居るんだぁ。きっと聞きたい言葉や聞きたい声があるんだな...と思った。情けないことに、おばあちゃんの聞きたい声を聞かせてあげることはできなかった。そして、その声を私も聞くことはできなかった。伝えたいことを明日からは伝えられないかもしれない。思った時に伝えなくちゃ。実際はなかなか実行できないけど。タイミングなんてものを考えてしまうけど。でも、せめてせめて自分のことこそは人にどう思われるかではなく自分であるための選択肢。自分に窮屈な想いや我慢をさせて意地けさせない。その上での人に対する想いと感謝だなと。この拙いblogに訪問してくださって一読戴いたあなたにも、感謝致しますThankyou◝(⑅•ᴗ•⑅)◜..°♡ちなみに子供の頃は、ほんとに食が細かったのでなかなかご飯を食べませんでしたがある程度の年齢になってからはおばあちゃんの作るご飯大好きでした。特に!こんにゃく料理とお蕎麦は格別でした(●´ω`●)